ぽむ、2017年を振り返る。
お久しぶりです。
ぽむです。
まさか前回の書き込みからこんなに間が空くとは思わなんだ。。。
この自分の天性の三日坊主ぶりには身震いがするほど驚きました。
まあなんだかんだありましてですな。
今年も色々ありましたが、そろそろ終わりを迎えようとしております。
そんな時にこそ、改めて自分の一年を振り返ってみたいなあなんて思います。
ぽむ、仕事を辞めた。
はい、まずはこれです。
2016年から勤めていた会社を退社致しました。笑
一体お前は31歳にもなって何を血迷っているんだと言われそうですが、正直上層部とまあー、、、
ソリが合わない!!!笑
本当にただただイライラして、喧嘩別れとまではいきませんが、退職の頃にはお互いイライラしてましたね、はい笑
自分に対してというか、他の同僚に対する扱いが酷すぎる。そして会社の運営がフラフラしすぎ。そのほかにも挙げれば数限りなく。笑
まあそれでもとにかく退職できてよかったなあと、今では心から思っています。
(ちなみに僕が退職する前後で4人ほど退職したので、どちらが正しいかはお察しいただけるかと笑)
ぽむ、会社を継ぐ。
実は、そんなこんながあり、紆余曲折があり、ぽむは父の会社を継ぐこととなりました。(正確には継がせてもらうために修行期間に入る事に。)
父とは仲はいいし、友達のようだったのでなんというかそこらへんの不安はなかったんですが、父と自分の性格は全く違っていて、親父は昔の親分気質。外交的でとにかく明るくて、周りにはいろんな人が集まってくるタイプ。
自分はホントーに現代風というか、どちらかといえば口下手な方。外交的だった時もあるにはあるものの、鬱期間を経て絶賛内向的タイプとして人生を謳歌中。笑
まあそんな風な不安要素があり、今年の7月くらいに話し合いをして最終的に継がせてもらう方向で働かせてもらうようになるまで、悩みました。
「果たして、自分に父と同じように仕事はできるんだろうか」とか、「そもそも自分はこの仕事がしたいのか」とか。
(どんな仕事なのかはまたいずれ書ければいいなあと思ってます)
でも、とにかく前に進んでいかなければ!
という気持ちがあったので、継がせてもらう事に。
今は頑張っていろんなことを学んでいます。
父の仕事、自分の仕事。
実は、今年から始めたのは父の仕事だけではありません。
自分の趣味を副業としてちょこちょこやっていたんですが、
「んーせっかくだから、本格的にやってみようかな」と、その副業の方にも精を出し始めてみたんです。
その副業は、「DIYジュエリーの製作・販売」です。
まあー最近よく見る、minnneとかcreemaとかヤフオクとかで販路を広げていった結果、、、
今年の売り上げは約40万円!!!
という自分的には驚くべき結果に。(もちろん利益はもっともーっと少ない泣)
父の仕事を引き継ぐべく働くというのは大変だし、そのほかに自分の仕事をする時間あんてあるのか、とも思ったんですが。
それでも今の自分ができることを、少しづつでもやって行きたい。もしダメになるとしても、とにかく挑戦はしておきたいなあなんて思いまして、父の仕事と並行して自分の仕事の方も来年からはどんどん力を注いで行こう!と、心に誓っております。
このブログについて
正直、まだたった数記事しか書いてませんし、アクセス数に関してもまだまだ1日に2〜3人の方が訪れてくれればいいくらいの、ちいーーーーーーーっさいブログですけど。
でも見てくれる方が、この日本のどこかにいるっていうことが、自分はとても嬉しいんです。
今までは、ブログなんて暇な奴が書いてんだろ。ヘッ。
。。。などと思っていましたが、自分が書いて見るとこんなに楽しいものはないですね。(じゃあサボんな)
今自分は地方に住んでいます。東京からすれば福島なんて田舎ですね。
物も少ないしお店も人も仕事も何もかも少ない場所だと思います。それでも、そんな場所だからこそ見つかるものとか、自然とか、なんかそんな風なものとか、来年はもっともっと見つけて行きたいなあなんて思ってます。はい。
でも、同時に田舎だっていいよー!っていう発信をしたいほど、大それた気概もありませんで、じゃあ何のためにブログを書くのかと言いますと、自分の気持ちとかその時その時の出来事を、いずれ振り返れる物があればなあということで、日記みたいなもんだなあということで、「ぽむの日記」ってタイトルにしたんです。
人に何かを強制もしたくないけど、楽しいことは分かち合いたいなとも思うし、自分としても振り返った時にクスリと笑える日記として、これからはもうちょい更新頻度を高めながら、書いて行きます。
みなさま、お暇な時にはお付き合いくださいね。コメントいただけると、内向的なくせに寂しがりやな自分としては嬉しいです。笑
それでは皆さま、今年も一年間本当にお疲れ様でした。良いお年をお迎えください。
ほんでもって、来年も一緒に頑張ってきましょうね!
桑田佳祐さんのソロツアーに行ってきた。
行ってきました。桑田佳祐さんの2017年ソロツアー「がらくた」に。
出典:
http://special.sas-fan.net/special/garakuta/al/
正直そこまで桑田さんのソロ曲は知らなかったんですけど、なかなかに楽しくて感動したので、ちょろっと書かせてもらいます。
事の始まり
洋楽ばかりを好んで聴いている自分としては、(基本US top40とかメジャーどころ)本当は今年ビッグネームとして来日したEd SheeranとかBruno Marsのコンサートに行きたかったんですが、、、いずれもチケットが取れず。
家族も楽しみにしてたのにどうしても取れない、、、、
ちくしょう!こうなったら桑田佳祐だあ!!
という半ば不思議な思考回路により、桑田佳祐さんのチケットをダメもとで応募してみることに。
そしてチケット当選者発表当日。
「あー・・・当たってる。」
正直そこまでものすごく好きというわけでもないのに、チケットは4枚取れてしまったんです。
「じゃあ・・・まあ・・・せっかくだから行くか。」
という、大して盛り上がりもせず(失礼)ツアーに行くことが決定したというわけです。
何がよかったのか
まず開演前。席に座って開演を待っていると、アナウンスが。
「みなさま、本日はお越しいただき〜・・・」というお決まりの文句が読み上げられる。
「早く始まらないかなあー。」と思っていると、
「特別に、悲しい気持ちーJust a man in loveーの新作PVをご覧いただきます!!!」
というアナウンスが!
ほとんどソロ曲は知らないと言っていても、この名曲はもちろん知っていたので、釘いるようにスクリーンを凝視しました。
感想。
いやあーよかった。笑
まあ詳しくは、皆さんもDVDか何かでご覧ください。(手抜き笑)
桑田佳祐さんの若さ
桑田さんといえば、日本を代表するビッグなアーティストで出す曲出す曲大ヒット。でもたまにエロい曲をぶち込んでくる。
というくらいにしか知らなかった自分。
ライブが進むにつれ、「よくこんだけ歌って疲れないなあ」なんて思っていたら、MCで桑田さんが「私もとうとう60歳を超えまして。。。」という言葉を聞いてびっくりした。
60歳でこんなパワフルなのかい。。。
果たして自分が30年後に、ここまでパワフルなおっさん(失礼)になれているのだろうか。改めて桑田さんというアーティストのすごさを感じた。
バラードではしっとりと聴かせて、アップテンポな曲では時にステージを駆け回り、時にバックダンサーを従えて会場を大いに盛り上げたりと、とにかくものすごい盛り上がりだったなあ。
知らなかったけど最高にハマった曲。
知らなかった。
KUWATAバンド。
ライブも終わりが近づき、アンコールで再登場した桑田さんが会場を最高潮に盛り上げたのが、「Skipped beat」 だった。
そもそもKUWATA BANDとは、
KUWATA BANDは、サザンオールスターズの桑田佳祐を中心にして結成されたロック・バンド。リーダーはパーカッションの今野多久郎。レコード会社はサザンの専用レーベルであるタイシタレーベル。 桑田の妻である原由子が産休中である1986年4月から1年限定で活動した。 出典:
というモノだったらしい。(そもそも自分が生まれる前のことだし、もちろん知らなかった)
この曲の何がよかったかって、とにかくファンキーなサウンド。激しいドラムにリズミカルなベースラインがとにかく心を揺さぶって来た。
特筆すべきはその言葉選び。スキップドビートというタイトルがサビで登場するのだが、どう聞いても「スケベー、スケベー、スケベー、スケベー」としか聞こえない。
「流石に俺の聞き間違えだよな」と思っていたけど、ライブ後気になって調べたら、そもそもスケベーと言いたくてつけたタイトルらしい。(間違ってたらごめんなさい笑)
そんなふざけたサビなのに、とにかくかっこよくて盛り上がった。今では自分のカラオケレパートリーの一つになる程、ハマってしまった。皆さんも聞いてみてね。
終わりに
曲をあまり知らなくても十二分に楽しめる。そんなライブだった。
新アルバムの曲は1曲も知らなかったけど、有名な曲も挟み込んでくれるしとにかくMCが上手。さすがはベテラン、さすがは桑田さんといった、貫禄あるライブだった。
また近くでライブがあるときは、また来てみたいなあと思った。スケベースケベーと大声で叫べるように、聞き込んでおかなければ!
おわり。
ホームパーティーの達人が教えるホームパーティーの基本のキ(飾りつけからゲームまで)
ホームパーティー。
んーーー・・・心が騒ぐ!!!
ぽむです。
大学の頃はダンスサークルで、朝から晩までストリートダンスに明けくれ、(勉強はどうした)休みともなれば夜通しクラブで踊り明かし、(勉強はどうなった)週明けの月曜1限はほぼ出席しなかったくらい、(オワタ)踊ってました。
サークルには100人くらいの人がいたんで、仲間や後輩がとにかく増えましたねえ。
そんな頃から、自分のアパートでホームパーティーを開く事をはじめました。
最初の頃はただみんなを呼んでは大量のお酒を二日酔いになるためだけに空にしていましたが、そのうちにこんなことに気づきました。
「自分は何の為に酒を飲むのか、いや、何の為に生きるのか。」(深い)
そんな逡巡を幾度となく繰り返し、ついに辿り着いたのです。
パーティーとは、酒を飲む事だけではない!
と。(大した事は言ってない)
まあそんなこんなで1〜2ヶ月に1度はテーマを決めて、定期的にホームパーティーを開催することになってました。
計算してみると、1年に8回×7年くらい=今まででざっと56回くらいはホームパーティーを開催したことになりますね。(相当暇だったんでしょう)
まあこんな開催回数で達人と呼んでいいのか甚だ疑問ではございますが笑、ご覧いただける方々にはどうか寛大な心と優しい眼差しで、ご覧くださいませ。
さてさて!そんな僕が、ホームパーティーにおける極意をこっそりと、そして時には大胆に!まとめてみたいとおもいます。
始まりますよーーー!
ホームパーティーの4つのポイント
意外と考えるのに時間かかりましたが笑 自分が考えるパーティーのポイントはこれ。
- 料金
- 料理とお酒
- 飾り付け
- ゲーム
まあ当然っちゃ当然ですな。
しかあーし!甘くみてもらっては困る。この4つのポイントには果てしないほどまでに広がる深淵が待っているのだ。
早速1つづつ見ていくことにしよう。オッホン。
料金
お金問題からいくというところが、いかにもぼくらしいけど笑
しかしこれが非常に重要だ。
ここで何度も失敗を重ねた経験上から、まずはお話しさせていただきたい。
お金は先に払ってもらおう!!!!!
なぜなら、「パーティーが終わったら回収するねー」や、「お金はあとでいいよー」などというと、必ず払わない人間がでてくるのだ。
そう。必ずだ。
別にそれは、その友達が「へっ、どうせ払わないで帰っても気づかねえだろ」と思っていなくとも起こり得る。なぜならパーティーが終わるころには
みんな酔っ払ってまともな思考回路が保てなくなるからである。(もしくは単純に忘れる人もいる。)
ちなみに後から支払うパターンでのお金の回収率は、
たったの60%(ぽむ調べ)
だということも付け加えておく。
とにかく、費用はパーティーが始まる前にあらかじめもらっておくと良い。
直接言いづらい場合には、玄関の所に”Entrance 2,000yen”とでも書いた箱を用意し、家に来た時点で回収するのもいいと思う。
もちろん、その2,000円が安かった!と思ってもらえるようなパーティーにする必要がある。
さらに、自分で材料を用意してホームパーティーを開く場合、大体一人頭2,000円を目安に考えて材料を購入しておけば、食べ放題飲み放題のホームパーティーが開催出来る。(もちろんクオリティにもよりますが)
料理とお酒
非常に重要なポイントです。この良し悪しでホームパーティーの印象はだいぶ変わります。
ホームパーティーを普通に開催してもそれなりに楽しいんですけど、是非ともオススメしたいのが
テーマを決めること。
です。
どういうことかというと、今回はメキシカンパーティーだ!と決めたら、片っ端からメキシコ料理のレシピを探して、その中で見た目がメキシカンだったり味がメキシカンっぽいものをピックアップし、料理するんです。
具体的に、例えばメキシカンパーティーを開催すると決めたなら、クックパッドを開いてワカモレ(アボカドをすりつぶして香辛料とかを混ぜ合わせたもの)とかを探し出して、作ってみるんです。
(出典:https://allnutribulletrecipes.com/family-friendly-nutribullet-guacamole/)
隣にこんな風にドリトス的なのを置いておけばバッチリ!
ポイントは、料理もお酒もいかにもそのテーマに合ったものを用意しておく事。
いくつか例をあげましょう。
テーマ:エンドレスサマーパーティー(実際にやった)
イメージ:海の家、カリフォルニアビーチ、映画「カクテル」など。
食べ物:魚貝類→シーフードを串に刺したseafood BBQなどのBBQ風の料理。
お酒:ココナッツ→リキュールのマリブを使ったカクテル→マリブコークなど。
テーマ:ジャングルパーティー(これも実際にやった)
イメージ:森の奥で行うパーティー。先住民族。
食べ物:塩胡椒だけで焼いた丸ごとチキン。それも炒めた野菜の上に置いて民族料理っぽさを出す。
お酒:オシャレ感よりは民族っぽさ。という事で、マッコリや焼酎などを空のビンに入れて民族感を演出する。
テーマ:アメリカンパーティー(まあ。。。ベタだけど実際にやった笑)
イメージ:80'sなクラシックアメリカン。
食べ物:手のひらサイズの小さなハンバーガー、チリビーンズなどのテックスメックス料理。
お酒:ビール(アメリカといえばバドワイザー)
こんな所かなあー。
ちなみに「そんなに料理も得意じゃないし、どうしよう!」って方には、チルド商品とかがおすすめです。例えばこんな風に袋から出して焼くだけのピザとかね。
問題は手間をかけたかどうかではなく、開催するパーティーの”テーマ”に沿っているかが重要なんです。
ここ、大事。
飾り付け
はい、来ました。ぼくが一番力を入れているポイントが、この飾り付けです。
ただの宅飲みとホームパーティーを分ける最大のポイントこそが、この飾り付けにあると言っても過言ではありません。
さて、飾り付けと言っても何からすればいいのやら・・・という方のために、いくつか具体的なモノをご紹介しましょう!
こいつはなかなか使えます。
そんなに重くないし、壁に画鋲で留めておけばやわらかい光でお部屋があっという間にシャレオツになっちゃいますよ。
イメージ的にはこんな感じ。
お部屋は基本的に少し薄暗いくらいがたのしく騒げますよ。
こいつもなかなか重宝します。
パーティーならとにかくお部屋をにぎやかにするのがポイント!
「これちょっとやりすぎじゃね??」と思うくらいに飾り付けして、ちょーどいいんです。
こんな感じでセロテープとか画鋲で、壁という壁、天井という天井に貼りまくってやりしょう。
忘れちゃいけない飾り付け=音楽
照明OK! ガーランドフラッグOK! よおーし!パーティースタートだあ!と思ったそこのあなた。
甘い。。。
甘過ぎる!!!
ここで気をつけなければいけないのがそう! おんがく。音楽!
Music!!!
なんですねえ。
話が盛り上がっている時はいいんですが、ふと沈黙がそこかしこに漂い始めると、パーティーの熱気は急激に冷め始めます。(これほんと)
ホームパーティーはつねにガヤガヤ、オホホホ、ガハハハ、というようなある程度の騒がしさがあってこそ成立します。
だからこそ、その熱を冷めさせないために”音楽”をかけるのです。そんな時にちょーーーおすすめなのがこれ。
・・・なに、これ?
ってなるよね笑 そりゃそうです。
これ僕も持ってるんですが、(正確にはJBL PULSE1泣)要は自分のスマホからブルートゥースで繋いで音楽が流せるスピーカーなんですよね。
まず音がいい。
そこはさすが安心と信頼のJBL サウンド。低音から高音まで、さらには中音域まで繊細な音から太いビートまで驚きの再現性を誇ります。
だけど、ここまでなら大体その他スピーカーと対して変わりません。
じゃあ何がすごいのかというと・・・この赤と青の部分。
光ります。
それも様々な色を自分で指定して光らせることができるんです。
普通ならドンツクドンツク。。。
だけですが、このJBL PULSE3なら
ドンツクドンツク
ピカーーーーー!!!
ってなるわけです。 ピカーーーー!
こんな感じ。
さらには防水だから屋外で使ってもバッチグー!光ってくれて盛り上げてくれて、良い音で盛り上げてくれて、まさにホームパーティーの必需品です。
お金さえあれば3つくらいは欲しい。(そんなにいらない)それくらいに僕も気に入ってるスピーカーです。はい。(これほんと)
どんな音楽をかけるのか
あーー、確かに。
僕は年がら年中洋楽ばっかり聞いてるので、ある程度ノリが良さそうな曲とかをプレイリストでまとめといて、それをかけてます。
よくわからなければ、スマホでYoutubeを開いて”パーティーソング”とかで検索して再生しておけば、大丈夫だと思います。
思うんですが・・・です。
Youtubeのプレイリストは、広告が入ります。(知ってると思うけどね)だからせっかくの良い洋楽をかけてても、いきなり日本語の広告が流れてきます。
「・・・ん?」「・・・え?」って、その一瞬雰囲気が変わります。
先ほども言いましたが、ホームパーティーは一瞬たりとも空白の時間を作ってはいけないのだ!そーなのだ!
ほんじゃあ一体どうするのが正解なのか。
これです。
ホームパーティのDJ役=Sportify(スポーティファイ)
です。
まず曲の数。
4000万曲!
あります。(多すぎ)
ほんでもってプレイリストの数が驚きの
20億!!!
もはや何回か生まれ変わらないと聴ききれないボリュームです。笑
もちろん無料でも聞けるんですけど、その場合広告がちょこちょこ入ったりしてめんどくさい感じです。
今なら3ヶ月100円っていうキャンペーンもやってるみたいなんで、(2017年11月22日現在)騙されたと思って一回は登録してみても良いんじゃないでしょうか。
公式サイト:
ゲーム
さーて、この記事も佳境に入ってきましたよ。
ここまで読んでいただいた皆さん、ありがとうございます。
ホームパーティーも中盤をすぎてくると、だんだんみんなもお腹いっぱいで暇ーな雰囲気を醸し出してきます。そこで起爆剤となるのがゲームです。そうなんです。はい。
それじゃどんなゲームがいいんだろう。人生ゲーム?黒ひげ危機一発?
んーーー。残念ながらそれはあまりオススメじゃあありませんな。
ホームパーティーの中盤に差し掛かると、みんなお酒も進んできてまともに頭が働かない人が多くなります。
そこで人生ゲームのような少しでも頭を使うゲームが出てこようものなら、さらにビミョーな雰囲気になること間違いなしです。
かと言って黒ひげ危機一発なんて、ありきたりの極地。(失礼)
たかがゲームといえど、意外性とシンプルさを求めると簡単に選び出すことは難しいもんなんです。
ここら辺は数々の失敗をもとにわかりました。えっへん。
っと、いうことで。またいくつかご紹介しますね!
意外性があるゲーム
まあとにかく意外性。「きゃー!何これ!」「うわあーー!すごおーい!」そんな歓声をその身いっぱいに浴びたい方にオススメなのがこれ。
昔の人はよく言ったもんです。
「大は小を兼ねる」
と。(そんなに深くない)
ジェンガって、普通は指二本でスッと抜けるくらいのサイズですが、このジェンガはとにかくジャンボ。
商品名にジャンボって入れちゃうくらいジャンボ。
腕二本でやっと抜けます。笑
「って言っても使わないときにかさばるでしょ?」と思ったあなた。侮るなかれ、こちらのジェンガ、段ボール製です。笑
組み立てるときにも片付けるときにも、みんなの手を借りれば連帯感だって生まれます。
これも実際に持ってますが、盛り上がらなかったことがありません。
意外性あるゲームといえばこれが一番!オススメですぞ。
さてさて、これまた意外性があるゲームです。
一体どんなゲームかというと、
「部屋を真っ暗にして遊ぶゲーム」
です。 笑
写真をみた方がわかりやすいですかね?それじゃこちらをどうぞ。
はい、これです。
要はバズ・ライトイヤー型の人形が、部屋中のいたるところ(360度)に敵キャラ(ザーグ)を投影します。
それを付属のシューターを使ってバンバン撃って倒していく、てなゲームです。
本格的なゲームだし、シューターは別売りもされているのでいくつか買い揃えれば、みんなでバンバンシューティングゲームが楽しめるって寸法です。
「じゃあゲームを始めまーす」なんて言っていきなり部屋を暗くすれば、みんなの注目と歓声を浴びること間違いなし。
ちなみにこれも僕持ってます。最高に盛り上がるので是非。
シンプルなゲーム
さてさて、じゃあシンプルなゲームだと何があるんでしょうかね。
まだまだおすすめ、ありますぞ。
まあーシンプル。
シンプルだけど奥が深いってゲームがこいつです。
電池もいらないし、すぐに出して遊べます。場所も取らないし、盛り上がります。
要は、「真ん中のペンギンくんが氷から落ちないように、氷を叩き落とす」っていうだけの、至ってシンプルに遊べるゲームなんです。
こんなんで盛り上がんの?って思った人にこそお試しいただきたい、おもしろシンプルゲームです。
(これも持ってます。トイザらスで買いました。笑)
値段も1,000円しないで買えますし、コスパもいいですねえ。
こいつもなかなかにおすすめ。特に
気になるあの人が!
パーティーに来てたら、必ず遊んで欲しい。そんなゲームです。
まあ、そうです。シンプルにいえば黒ひげ危機一発です。
「あれ?さっき黒ひげは普通すぎてつまんないって言ったじゃん」
そうなんです。そうですよねえー。
まーそうなんですが、樽に突き刺すナイフをよく見てみましょう。
”左隣の人に耳元で
ア・イ・シ・テ・ル
と囁く”
んーーーーーー。おもしろそう。笑
要は「ルールは黒ひげ危機一発そのまま。でも黒ひげが飛び出したら、ナイフに書かれている指令をこなさないといけない」という、
罰ゲームあり
の黒ひげなんですね。その名も「Love hige(ラブヒゲ)」。
指令は全て恥ずかしいものばっかりなので、参加する人みんなで盛り上がれること間違いなし。
(意中の人がいれば、その人との罰ゲームを期待しても・・・んーーー。いいですねえ。笑)
こちらからは以上です。
ああーーー。疲れた。
書き出したはいいもののこんなに時間がかかるなんて思わなかった。笑
それでもまあ、ね。
これからホームパーティーやって見たいな、なんて人のお役に少しでも立てれば、本望であります!
それじゃ今回はこんな感じで!
おわりー。
ぽむ、ニューヨークへ行く。ー初めての昼食ー
行く、というよりは行った。というお話。
72時間ホンネテレビ関連のアクセスが収まってきたので、(グスン)そろそろ僕のつまらない話にでもお付き合いください。笑
ニューヨークへ行く(逃亡する)までの流れ
初めて書いた記事で、
SEO会社入社→激しく消耗→アメリカへ逃亡→地元に戻る
という感じで若干やってしまった感がある僕ですが、なぜアメリカへ行くことになったのか、振り返ってみるとSEO会社で心がヤラレテしまった僕は、きっと何か逃げ出したかったんだと思います。
全くもって何かこれをしよう!というものもなく、ただなんとなくで渡米を決めてしまいました。
一応のテーマは『自分が次にするべき何かを探す旅』をしよう!だった(まあ結局そんな都合よくは見つかりませんでしたがね。へへっ)
まあそんなこんなで、いよいよニューヨークの地へ降り立つぽむ!
フランス人2人が住むお宅へお邪魔する
Airbnbってみんな知ってるのかな。。。?知ってるよね?要は『民泊の予約サイト』のことです。そいつを巧みな英語(中学レベル)でスラスラと(翻訳サイトにどっぷり頼りながら)連絡を取り合い、アレヨアレヨと泊まる場所が決まった。
マンハッタンはとにかく家賃が高い。民泊ですらその例外ではない。ということで、最初から選択肢はブルックリン一択であった。
そんな中で、レビューの評価も高いフランス人が2人住むお宅へとお邪魔することになった。
初の外国人とのガチで会話。そして極限の緊張。
JFK空港に降り立ち、連絡された住所を元に徐々に近づいていく。
「ここかな・・・?」「あれかな・・・?」なんて具合に右往左往しながら、それらしき通りには着いたのだがあと一歩わからない。
正直自分の英語は中学2年生レベルだったと思う。文法はわからないし、何をどう言えばいいのかもわからない。
知り合いが一人もいない、それも多種多様な人種が共生するニューヨークで、英語も話せないのにどうすんだい。おい!どうするんだいっ!
・・・きんにくん、好きだなあ。あの芸風。(なぜ今)
まあとにかく、なんとかなるもんです。だってどうしようもないならどうにかするしかないんだから。
ともあれ無事お家に到着。ここからニューヨークでの新しい生活が始まるわけです。ベッドに案内されて、時差ぼけでだるだるの体は一瞬のうちに深い眠りに沈んでいきました。
日本人、むしろアジア人いない。。。
はい。いませんでした。笑
翌日フランス人の2人のお家の近くにある地元の小さなレストラン(とすら言えないくらいに狭い、8畳くらいのお店)で、昼食をとることにしました。
がちゃり。。。。。?
お昼時ともあり、お店は結構混んでいました。
まあ、それはいいんですが、やたらとみんな自分を見つめてくる。。。
なぜだ?
ふと我に返ると、気づきました。アジア人、いない。と。
黒人や白人、プエルトリカンといった方々ばかりで、おそらくはアジア人がほとんど住んでいない地域だったのかと思います。
さらに言うと、「アメリカで一人旅するんだから、気合入れて金髪にするぞ!」という不可思議な思考回路のせいで、自分の髪はこれでもかというくらいの金髪だったんです。
アジア人。金髪。
まあ、見るよね。うん。
オーダー、どうする?
さあて、ニューヨークに来てはみたものの、何をどう話せば良いのか全くわからない。エイゴワカリマセン状態の僕には、オーダーすらかなりの緊張が付きまとうものであった。。
「ジー(見られてる)」
(やばい、何か話さないと。。)
「ジイー(まだ見てる)」
(何をどう頼めばいいんだ。。。)
「ジジイーー」
「Hey!」
(ん?)
オーダーもせず立ち尽くしていた自分の後ろから、救いの声が。黒人のおじいちゃんでした。
「ペラペラペラー(なんて言っているのか聞き取れない)」
会話が終わると、店員さんはショーケースに並んでいるおいしそうな料理を指差しました。
(選べ、ってことかな?)
「じゃあ、これとこれと・・・(日本語)」
選んだものがどっさりとお皿に盛られ、お会計へ。おじいちゃんに「センキュー」というと、なんとウインクしてくれた。
ウインク、、、かっこいい!なんて思いながら、席に座って初めてのご飯にありつけました。実際味は覚えてないけど。(おい)まあそんな出来事がありました。
昼食を終えて家に戻り、玄関に上がる5〜6段の階段の上に座り、タバコをふかす。(アメリカでは基本的に室内禁煙だそうです)
スウーーーー・・・・ッ
ハアーーーーーッ
「仕事辞めて何にも考えないで、ずいぶん遠いところに来たんだなあ。」なんて、少し感傷に浸りながら、(早いな)これからのニューヨーク生活への期待と不安を交互に吐き出し、ニューヨークの夜は更けていくのであった。
ひとまず、そんなとこで。
つづく!
72時間ホンネテレビを見てて最高だなと思った理由 ーその後ー
はじめに
驚きました。
だってこのぽむの日記ブログを立ち上げて、記事の数はまだたった”3”なんです。(この記事含む)
最初に記事を書いた時のアクセス数は1ヶ月で6アクセスくらいでした。それが72時間ホンネテレビの記事を夜中に書き上げて、「まー今話題だし、前の記事よりは見てもらえるといいなあ。。。ムニャムニャ」と眠りについて、なんやかんやでアクセスを確かめたのが2日後。
ん・・・?
一、十、百、千・・・い、10,000???
まさかの1万アクセスでした。笑
もちろん単純に彼ら3人のことを知りたい方が見てくださったんだと思いますが、それでも自分が書いた記事が人に読まれるということがここまで嬉しいことなのかと、一人でそわそわモジモジしていました。(きもい)
さて、元々は次に自分の転職後の暮らしとかを細々と書いていこうかと思っていたんですが、これだけたくさんの方々が慎吾くん、草なぎくん、吾郎くんの動向に注目されているのなら、(どうせ僕の話なんて聞きたくないもんね。グスン)10,000アクセスもしていただいたお礼とばかりに、もう1記事だけ書くことをお許しください。
72時間ホンネテレビを見終えて
きっと自分だけではないはず。
アベマTVで放送された、元SMAPの3人である慎吾くん、草なぎくん、吾郎くんが3日間を多くの仲間たちと共に走り抜けたアツイ番組、72時間ホンネテレビ。
誰もが予想もしなかった大盛況のうちに、彼ら新しい地図の最初の1歩は伝説となった。(なかなかいい書き出しだ・・・自画自賛。ゴクリ。)
そのあまりにも輝かしく、時にほっこり、時に感動を呼んだ熱狂の3日間を見終えて、僕はまだその感動と熱狂にあてられていた。
「本当に終わっちゃったんだなあ」と思いながら、みんなどう思ってるんだろうと思って、アカウント登録もしていないTwitterを覗き見したりしてみた。(だってちょっと怖いんだもん。使い方わからないし。炎上とかするとすごいらしいし。)
「新しい地図、最高でした!」「これからも頑張って!」たくさんの人が、3人の新しい門出を思い思いの言葉で祝福していた。中にはさっき放送されたばかりの72曲2時間のコンサートの動画をアップしていたり、セットリストを驚異的な速さでまとめ、シェアしたりされていた。
「きっと自分と同じように、みんなもこの感動を語り合う場所が欲しいんだろうなあ」と、なんとなくだけど思ったりした。
ネットテレビという新しい地図
前の記事でも書かせてもらったように、ジャニーズはネット世界への進出を拒んでいる。(と自分は思っている)例えばネット記事でジャニーズの話が出てきても、写真は一切掲載できない。
SMAP結成当初から敏腕マネジャーとして彼らを支えてきた飯島さんの手腕は、ここに来てさらにその輝きを増しているように思う。(と言ってはいるが、ここらへんの情報はネットで知ったので正確な情報かどうかはご想像にお任せします。と一応リスクヘッジさせてくださいね笑)
3人の脱退が決まってから、正直この先大丈夫なのかと思った人は少なくなかったと思う。しかし彼女は怒涛の勢いで次々と彼らの新しい魅力を発信し始めていく。
慎吾くんの美的センスを生かし個展を開催したり、最近ではInstagramに草なぎくんの神対応についてアップした人もいた。それもこれも彼女の新しい事務所が今までよりも彼らを身近に感じさせようという寛大さをもったマネジメントをしてくれたおかげであり、また今までとは違うファンとの関係性を構築しようという気持ちが表れているようで、素直に嬉しかった。
そのあとも今までにはないようなスタイリッシュさを押し出したPVには、ファンならずとも期待を寄せずにはいられないようなクオリティの高さがあった。
そして映画のタイトル。「クソ野郎と美しき世界」とは、なんとなく何かを当てはめたくなるような、そんなウィットに富んだセンスのよさが感じられた。笑
極め付けが72時間ホンネテレビである。ネットテレビとSNSのフュージョンは、現代のニーズにマッチしなおかつこの世界で初めてと言っていいほどの大成功を収めた。(と、僕は勝手に大絶賛している。)
新しい地図の可能性が、このたった72時間(けれどもとても濃い72時間)でどんどん広がっていくのを、この目で間近に見ることができたのは幸運だったとすら思う。まあとにかく楽しかったなあ。この3日間。お祭り的な感じだったな。
一体何がよかったのか
ルーズさ。そして温かみ。であったように思う。
まず、既存の”長い時間を寝ずにみんなで頑張るよ”系番組のパイオニア的存在は、やはり24時間テレビだ。でも僕が思うに、あんなお涙頂戴番組は現代の視聴者の嗜好にはあまりそぐわないように思う。
視聴者は作り手の嘘に飽き飽きしているし、さらにいえば嘘くさいというか演者の気持ちのこもっていないコメントや作り笑いには辟易してるとさえ思える。(だれよりも僕がそうなので)
72時間ホンネテレビは、作り物感が全くなかった。そもそも台本があったにしろ、72時間分の台本を覚えられるわけがないし、そんなことは到底不可能なのはわかっている。そして、72時間寝ないなんてことも無理なのはわかってる。
さらに「いや、普通に寝ますよ」という彼らのある意味開き直り宣言が、視聴者に安心と期待を抱かせたようにも思う。だって普通にそうだよねって思うもん。眠くなるじゃん、人間だし。
だから2日目以降の夜中に、再放送というかハイライト映像が流されている時は、「おいおいなんであいつら起きてねえんだよ!」というようなことは全く思わず、ただただ「あーよかった。少しでも休んで、明日また元気な3人がはしゃぐのを見たいなあ」と、逆にその距離が近づいたんだと思う。
(特に慎吾くんはノってくるとやたらとビールをがぶ飲みし始めるので、そこもハラハラした笑)
彼らが最前線で積んできた長いキャリアからくる余裕、そして滲み出る人柄のよさや謙虚さ。何よりたくさんの感謝の言葉が、どれも心からの想いを持って画面いっぱいに放たれていたからこそ、これだけ多くの視聴者に賛辞を持って迎えられたんだと、僕は思う。
視聴者が集まる場所
彼らがSMAPであった時には、そこはスマスマやコンサートであったと思う。でも今は、ネットがある。彼らが見つけた未踏の大地が、ネットの世界なんだ。
慎吾くんのInstagramは今までよりもより一層と生き生きとした彼の笑顔でいっぱいだし、草なぎくんのYoutubeは彼の人柄のよさが全面に出たほっこりとした笑いを提供してくれるし、吾郎くんのBlogは必要最低限だけれどみんながみたい情報を適切に載せていてくれる。
いままではこちらからただ眺めるしかなかった彼らの活動に、今度はこちらからもアプローチができる。一方向的なつながりが、双方向へと変化したこの革命は、本当に大きなものだと思う。
ちなみに朝のニュースでは、草なぎくんが一般の人のツイートに一つ一つ”いいね!”をしてくれたなんて話もあった。まあ僕はツイッターを使っていないので関係ないが。(すごいうらやましい。始めてみようかなあ。)
自分にはなにができるのか
最近のテレビ番組を否定したいわけではない。そりゃもちろん楽しくない番組もあるし、そうでない番組もある。ただ昔と違って、今は少し面白い特技や趣味嗜好を持っていれば、普通にテレビに出られる機会がたくさんあるように思う。
そう考えると、本当の意味でのスターというのはこの先なかなか生まれないのだろう。でも、僕からすればSMAPのみんなはまぎれもないスターだし、新しい地図の3人になっても彼らは圧倒的にスターなんだとこの番組を通して再認識した。
だって、72時間も見るに堪える人たちなんて、そういないと思うから。
ふと、画面から目を落として自分の足元を見る。
彼らからすればちっぽけな存在だし、きっと彼らの何万分の1だって注目されていない人間だと思う。それでも、僕らは前を向いて生きていかなければならない。
これをいうと「アホか」とか「なんでやねん」とかいろいろ言われそうな気もするけど、、、この72時間ホンネテレビを見て、「俺だって何かできるはずだ」「楽しく生きてやろう」「謙虚に爽やかに生きたい」と、なんだか新しい自分を彼らの中に見つけたような気さえした。
そんな感情を他の人間に沸き起こさせる彼らの存在は、やっぱり単純にすごいと思う。
長々と書いてきたけど
これで72時間ホンネテレビについて記事を書くのは最後かもしれない。(といいつつ次の記事も書くかもしれない笑)
なぜなら彼らが見せてくれた背中は、常に新しい地図を広げていくことでこそ輝いていたから。
せっかくの学びを無駄にしないように、僕等一人ひとりが日々を、1秒1秒を楽しんでいくことが大切じゃないかなあなんて偉そうにも言ってみる。
こんなに大した情報もないようなブログ、見てくださった方々ありがとうございました。みなさんはどんな風なことを感じたんでしょうか。
機会があれば聞いてみたいなあ。
さてと、それではそろそろ自分の人生に戻りたいと思います。新しい地図の新しい歩みを楽しみにしながら。
72時間ホンネテレビを見てて最高だなと思った理由
SMAP解散。。ちょ!待てよ!
って叫びながら(あくまで心で)、呆然と事の成り行きを見守るしかなかった31歳の僕。
本格的には中学生くらいから音楽(Jpop)を聞き始めて、とにかく聞き込んだのがSMAPの曲だったなあ。
青いイナズマ。FLY。がんばりましょう。しようよ。(古い曲ばっかだな)
SHAKEに至っては会社に勤めてから、激務とサービス残業というわかりやすい社会の波に必死に抗いながらたどり着いた金曜の夜に、
あっすーはやぁーっすうみいだー、しいごっとおーもおーなあーい。
はっやあーおきいーなあーんっかー、しいーなっくうーてーーもいいーい。
の部分にやけに感情がこもったことを今でも思い出す。(いい歌詞だよね)
SMAPというものは、もはやただのジャニーズとかアイドルとかの枠を大きく超えた存在だった。自分にとってはね。
辛い時にはいつもそばにいてくれて、正直言えば歌もダンスもそこまで高いレベルではないと思っていたけれども(ファンの皆さんごめんなさい)、そんなことを超越した”温かみ”と”心の距離の近さ”を、勝手ながら感じていた。
新しい地図・・・?
木村くん、中居くんがジャニーズに残り、草なぎくん、香取くん、稲垣くんが別の事務所に移ったのは知っていた。
正直、ジャニーズから圧力がかかることはDAPUMPファンでもあった自分にとっては容易に想像できた。もはやテレビには出れないかもしれない。それが現実となりそうで、寂しかった。
同時に、スマスマで初の5人旅を放送した時、中居くんが酔っ払いながら「俺100人いけるよ」っていう言葉を発して、香取くんが突っ込むというあのやりとりが、なぜか何度も頭の中でフラッシュバックしてきた。ほんとに寂しくなった。
それから、ふと何かの拍子に「新しい地図」というプロジェクトが進んでることを知った。
「・・・なんじゃそら」と思ったのは正直に言っておきたいが、とにかく嬉しかった
アレヨアレヨという間に、今度は映画が決定。PVを見た時に、これは新しい何かが起こるかもしれない!と今までにない期待が自分の中に沸き起こった。
72時間ホンネテレビ
始まる。。。
今まで話には聞いていたけど、興味がなくて完璧に忘れていた「abema TV」なるアプリをiPhoneにダウンロードした。(会員登録するのかな?お金かかるのは怖いなあとか思った事はここだけの秘密である)
ドキドキ。。。
は、始まった!
元気そうな3人が生き生きと、でも少し緊張しているような感じで映し出された。
と同時に、この瞬間から新しい世界が始まったような気がした。改めて「新しい地図」というネーミングの素晴らしさを、一人で感じていた。
ねえ!始まったよ!
っと両親に言った僕のテンションが異様に高かったからなのか、「お、おう。。。」という反応をされたのは切なかったが、とにかく嬉しかった。
ジャニーズはネットの世界では影響力が薄い。そもそも彼ら自体がその世界に進出する事を拒んでいるからだ。
でもまさかその世界で彼らがここまで大きく羽ばたくとは思わなかっただろう。
ふふふ。バカが!!と大声で叫びたい気持ちを抑えながら、(これは実際に言った、小声で)
画面に釘付けになっていた。
中居くん、木村くんの不在
2人の存在が大きかったんだな、という事も改めてよくわかった。まず、うまいこと場を回せる人がこの3人の中にはいないという事が、開始30分でわかった。苦笑
慎吾くんが頑張ってはいるものの、やはり中居くんのような華麗で緩急自在の司会術は、なかなか真似の出来るものではないんだと感じた。
そして、圧倒的なエースの存在。木村くんは、やはりかっこいい。歌もできれば踊りもうまいし、ギターも運動も、SMAPが前に進む上での起爆剤。そう、スラムダンクでいうところの流川的な存在であったのだ。
少しギクシャクしながらも、楽しい時間はどんどん進んでいく。サイバーエージェント社長の藤田さん宅の広さにはもはや嫉妬を超えて羨望の感情が湧いてきた。同時にこれだけの広い場所と、何よりネットで思う存分ジャニーズを気にせずに暴れられる空間を提供してくれた事に、心から感謝したいと思った。(べつにお前に感謝されなくてもと言われると思うけど)
ゴルフ、カラオケ、クイズ番組。のっけから楽しい企画が目白押しだった。3人の緊張も徐々にほぐれ、どんどん彼らの良さである人柄の良さと暖かさが顔を覗かせてきた。
大笑いする慎吾くん。いつでも冷静な稲垣くん。おっちょこちょいだけど安心感ある草なぎくん。どんどん引き込まれていった。
気づいたら夜の3時だった。笑
明日は友達の結婚式がある!もう寝よう!と決断するまで、かなり時間が必要なくらいに楽しかった。
次の日起きた後も、すぐにアベマテレビのアプリを開いた。
昨日と同じように楽しんでいる3人が映し出される。結局家を出る直前まで見てしまうほど、楽しくて、新しくて、暖かい空間に自分もいさせてもらえるような気がした。
そして、ふと気づいた。
2人はいないけど、これはこれで新しい彼らの形なんだと。それになんだか、前より彼らがのびのびと、生き生きとしている事が容易に見て取れた。
率先して場をまとめようとして奮闘する慎吾くん。相変わらずだけどところどころで確信をつくことをいう草なぎくん。今までにないアグレッシブな姿を見せてくれる稲垣くん。
寂しさと嬉しさと、新しい世界が始まるんだというワクワクと、ただこの番組を見ているだけなのに、いろんな感情が自分の中で湧き上がってきた。
友達の存在
とにかくたくさんの有名人が出てきた。カンニング竹山さんが全く場を回せないのにはハラハラしたが(失礼)爆笑問題さんが出てきて一気に場は盛り上がったし、山田孝之さんが地方の撮影からプライベートジェットで参戦したのはすごい嬉しかった。
なんというか、正直な話この番組に出たらジャニーズの人たちと仕事しづらくなるんじゃないかと勝手な心配もしてみたが、そんな事を全く意に介さない様子で次から次に人気者達が登場してくれた。
一本満足ダンスも素直に大爆笑したし(その後やたらとコールのようにまんまんまんぞく!が出てくるのにはワロタ)、お弁当作りもなんだかビストロを少し思い出したりして楽しかった。
鶴瓶さんからの差し入れにも感動したし、元新撰組の豪華俳優陣の登場にも心がときめいた。なんか、男気を感じずにはいられなかった。
こんなにも3人を好いてくれる人たちがいて、新しい門出を祝おうとしているその気持ちが、とても気持ちよかった。
今まで3人が歩んできた道のりは、やはり偉大なものだったんだと再認識できた。スケールは小さくても、いつかこんな形で自分もいろんな人と関われるような人間になれたらと、なぜか自分のことまで重ね始めていた。
感謝の言葉。謙虚な姿勢。
さすがに友人の結婚式もあったり睡魔が襲ってきたりと、72時間全てを見たわけではないけれど、それでも心に残ったのが彼らの謙虚な姿勢だった。
「本当にありがとうございます!」「ありがとう!」「感謝してます。」
たくさんの感謝の言葉が3人の口から溢れ出していた。
テレビでよく見る、感情がこもっていない言葉ではないことは彼らの目を見れば明らかだった。有名人、一般の人、スタッフ、お客さん、視聴者。誰に対しても変わらない熱量で、感謝の言葉を告げる彼らはとても謙虚で、自分もそうありたいと思うようなすてきな姿だった。
最前線で戦い続けてきて、国民的な知名度を誇りながらも、どこか親近感を感じるのはこういう謙虚な姿勢と、素直さからくるものなのかもしれないと思った。
森くん!!!!!!!!!
トレンド世界一位がどんだけすごいことなのかは、あまりわからないし興味がなかった。笑(でもおめでとう!!という気持ちはすごいあったけど)
それよりも映像で彼らの再開が映し出された時には感慨深いものがあった。
アイドル時代の森くんとは表情もオーラも正直違ったけど、いい時間を刻んできたんだろうなと勝手に思ったりした。そう思えるほど、アイドル時代とはまた違う男のオーラがあった。
森くんを見つけるなり抱きつく慎吾ちゃんを見ながら、自分までニヤニヤしてしまった。(近くにいた弟に気づかれないかと焦った)
聞いた話によると、森くんが現れた瞬間から視聴者が爆発的に増えたらしい。そりゃそうだよな。あの森くんと再会するんだもん。にわかファンの自分でも嬉しいんだもん。もんもん。
とにかくキラキラして、画面が眩しくて見れないほどの輝いた瞬間だったと思う。(実際凝視してたけど)
睡眠不足
空き時間があると「アベマ!」「あべまあ!!!」「 あv?Fe4!!!!!!!」ってなってしまっていたが、楽しい映像を見ながら常に頭をよぎったのが、「寝なくて大丈夫か・・・?」と「すげー頑張ってるなあ」であった。
そもそも人は睡眠をする生き物である(当たり前だ)
それが3日間もほとんど睡眠を取らないと一体どうなってしまうのか。不安を抱きながら見ていた。
(そして酒をそんなに飲んで大丈夫か、という不安も笑)
正直エネルギーが少なくなってきているのが見える瞬間もあった。疲れがどんどん溜まっているんだろうなと思う瞬間も何回かあった。
でもその度に、「1人じゃないんだ。3人で戦ってるんだ」と感じさせてくれる3人の絆があった。助け合いながら励ましあいながら1分1分を精一杯楽しんでいる3人を見て、逆になぜか勇気付けられている自分にも気づいた。
名前の通り、新しい地図をどんどん広げているんだなと素直に思った。
フィナーレ
正直、72時間分の出来事を全て事細かに書くのは意味がないし、そもそも書けない。僕にはそこまでの体力はないし、そもそも全部を見れていない。笑
それでも、結婚式が終わり帰る日になっても、高速道路の中でもずーっと3人の戦いを見たくてしょうがなかった。
普通に帰れば2時間の道のりを、パーキングエリアに何回も止まりながら、アベマTVを見ながら4時間かかってしまった。笑
だって、気になったから。吾郎ちゃんの結婚式。
まあそれは置いといて、フィナーレである。
正直、普段洋楽ばかりを聞いている自分にとって、彼らの歌が上手で耳触りがよかったかと言われれば答えに困る。音程が外れるところもあれば踊りが揃っていないところもあった。
それでも、心揺り動かされる何かがあった。
必死にギターをかき鳴らす草なぎくん。大きな体でビッグなパフォーマンスを見せてくれた慎吾くん。イメージにはない荒々しさを表現した吾郎くん。
決して完璧だったとは言えないけれど、それでも心が動いたのは、きっと彼らがそれだけの想いと熱量で、この場に立っているからなんだろうと思った。
素直にとても感動した。
72時間を終えて出演者の方や視聴者からのメッセージを見ながら、涙ぐむ3人。最後に、森くん。
みるみるうちに3人の目から涙が溢れていた。
どきっとしたのは、吾郎くんが一番激しく涙していたことだった。いつもクールな吾郎くんが泣いている。。。多分たくさんの視聴者も驚いたと思う。
同時に、当事者でもない自分の目頭まで熱くなっていることに気づいた。(やばい、家族にバレる!と焦ったのはいうまでもない)
72時間走り終えた彼らの顔は、疲れを全く感じさせないほどに晴れ晴れとしていた。なにより、72時間前よりもまた一段と精悍な顔になっているのがわかった。吹っ切れる、といった表現でもいいかもしれないが。
新しい地図の可能性
は無限だと思う。
かつてこれまでネットTVの可能性を感じさせてくれた番組があっただろうか。(いや、ない。)
3人で表立っての活動が初めてにも関わらず、彼らは革命的な記録を打ち立てた。改めて、ネット・SNSの可能性を感じたし、誰それの圧力とは無縁の新しい世界を彼らが獲得したことはもはや言うまでもないれっきとした事実だ。
最初の一歩がこんなに大きく力強いものになるなんて、正直誰も思っていなかったんじゃないだろうか。それでもやり遂げた彼らの前には、まだまだ未開の大陸が広がっていると思う。
きっとこれから、もっともっと大きな地図を広げて羽ばたいていくであろう3人の歩みを、僕もいつまでも見ていたいと思った。
そして、彼らが見せてくれた人生というものの素晴らしい可能性と楽しさを、自分の人生にも生かしていきたいな、なんて勝手に思っている。
とにかく御三方!お疲れ様でした!最高の時間をありがとうございました。
映画、楽しみにしてます。がっつりとかましてくれ!クソ野郎に!
SEO会社を退職して、地元福島にUターンした理由。
初のブログということなので、知識もセンスは横に置いといて書いていきたいと思う。そもそも自分で自分のことを書くということが初体験で、正直少しワクワクしている笑
自分のことを語るということがないので、どんな風になってくのか(特に語り口調がどんな風になるのか自分でも興味あり)わからないけど、ちょこちょこ書いていけたらいいななんていう風に思ってます。
さて、まずは振り返りからいきたいと思う。
大学(ごく平均的な学力)を卒業し、すぐにSEO会社に入社した。SEO会社と言ってもリスティングやアフィリエイトも取り扱っている、中堅のWebの総合広告代理店だった。
新卒として入社し、名刺交換の仕方からお辞儀の角度まで、ベンチャーとしては珍しいくらいにきちんと新人研修をしてもらった。
販売していくことになる商材についても、部長クラスが直々に時間を割いて教えてくれた。その時は気づかないものだが、とにかく今思えばいい会社に入社できたと思う。
いまでもそこで学ばせてもらった知識や経験は、自分の中で大切にしているし今でも活用できるような経験ばかりだった。
同期にも恵まれた。意地悪なやつ、抜け駆けしようとするやつ、いじめなんかは皆無で、よくみんなで飲みに行ったし、旅行にも行くほどだった。
その後ほとんどが退職し転職することになるのだが、会社を離れた後も何かと連絡を取り合ったり、仲良くさせてもらっている。
(こんなことを書いていると、ナゼ辞めたのかという話にもなるが、それは後から書いていく)
一人前までの道
研修を終えると、実際に電話をかけてアポをとることになるのだが、これが大変だった。毎日100件をリストアップし、次々に電話をかけていく。
「こんにちは!私◯◯の××と申しますが、広報担当の方はいらっしゃいますでしょうか?」
この言葉を一体何回言ったかわからない。
ピンときた方もいるかもしれないが、とにかく首都圏で自社のサイトをもっている企業の受付の方は、耳にタコができるほどこんな営業電話を受けていることだろうと思う。(あの時はうんざりさせてすみません。。)
だいたいの受付の方はこんな風に連絡が来ると、「現在担当は外出しております」か「弊社では現在広告は必要ないとのことで遠慮させていただいております」という答えが返ってくる。
それならまだいいほうだ。
「迷惑だから二度とかけてくんなよ!」や「そんな広告に金かけていられるほど余裕ないんだよ!」という、愛のある(?)お叱りをいただくことも少なくなかった。
そんなこんなで大変な日々がありながらも、なんとかアポが取れ初の提案に行かせてもらえることになった。
しかし、、契約が取れない。
同期10人ほどの中で、契約が取れたのは自分が最後だった。
もちろん先輩社員に同行してもらえるのだが、なぜか契約が取れない。
アポをとった企業の見込み度が低いのか、電話のかけ先の制度が悪いのか、それとも自分の正確なのか。この時期は初めて悩んだ時期だった。(と言っても最初からスムーズにいくことのほうが難しいとは思うが)
その後も先輩に叱咤激励を受け、同僚とは慰めの酒をご馳走になり、最終的には部長の力を借りてなんとか初契約をいただくことができた。
本当に嬉しかったし、会社に貢献できたという喜びもあった。しかし一番は、受注した時に隣にいてくれた部長や先輩社員、同期の笑顔が心から嬉しいと思った。
先輩からは「おめでとう!でも営業はバックオフィスの人たちの給料も稼いでこないといけない。それに自分を雇うために様々な経費がかかってくる。営業は最低でも自分の給料の三倍は契約を取ってこないと、赤字なんだからな。これからもっと頑張らないとだめだぞ。」なんていう言葉をいただいたりした。
入社後初受注。
自分はもっともっと努力しなければ!とやる気にあふれた時期だった。
日々成長
その後日々の忙しさのおかげであっという間に時が過ぎ、なんとか自分の給料の3倍は契約が取れるようになった。
少しずつ余裕も出てきて、販売できる商材も増えていった。
まあとにかく出る出る。新商品。
解析ツールやら新しい広告配信手法、毎月のように新しい商品が出てきてそれを覚えるのが大変だったなあ。
そして特にSEO。
同業の方ならきっとわかると思うが、SEOを売っていくことは非常に厳しい。なぜなら
- テレアポ毎日100件は当たり前。
- そもそも全てはGoogle様次第なので売れたとしても順位が上がる保証はゼロ。
- 売った顧客のサイトが検索順位から消える可能性すらある。
- 順位が下がった時の顧客の怒り具合は絶望的。
- 売らなければ会社から、売ったとしても顧客から怒られる。
てなことがあるから。
しかし後輩や中途社員がどんどんと入社する中で、自分に課せられる期待値も少しづつ上がっていき、それも嬉しいと思えていた。
じゃあなぜ退職したのか
単純に自分がパンクしそうになったから。(実際パンクした)というのが理由だ
結果的に、入社してから5年くらい働かせてもらっていた。別に売れない営業マンってわけでも無く、同時にものすごく売れっ子の営業マンというわけでもなかった。
ブラック企業にいるような理不尽な上司もいないし、同僚も他部署の人もとにかくいい人ばかりだった。だからこそ、さっき言ったようなきついことがあってもなんとかやれてたのかもしれない。(こんなんできついなんて言ってたら甘い、と言われそうだがそのほかにも並行して、自分の夢を追いかけてもいた。それが後々重荷になることになるのだが。。)
自分の中での葛藤
SEOサービスっていうのは結局、「あなたのサイトをよく検索されるワードで上位に表示しますよ」ってことだ。
でも順位を決めるのは誰か。そう、Googleである。
だから上位に表示されるかどうかは実際のところ自分たちにもわからない。だからサービスを勧める時にはきちんとそのことを説明した上で、受注しなければならない。
そうしないと絶対に「お前順位上がるって言ったじゃねえか!詐欺だ!詐欺師だ!!」と、理不尽に怒られることになる。
しかもほとんどのSEO会社では、半年から1年間契約が切れないような契約書になってる。つまりは、順位が上がろうが下がろうが、その期間はお金をいただきますよ、ということだ。
もちろん順位が上がることもあれば、全く上がらない場合だってある。しかし営業マンは順位が全く上がっていなくとも、その顧客とやりとりをし続けなければならない。
そこが、、、きつい。
しかもそんな顧客を何十件も抱えていると、毎回毎回本気で怒られ心が折れてくる。
取れば取るほどきつい契約
そのほかにも問題はある。単純にSEOだけであればなんとかやれるかもしれない。しかしリスティングやサイトの解析サービスなんか受注した日にはさらに拍車がかかる。
リスティングは運用型の広告のため、基本的には運用担当がその顧客ごとのアカウントを管理し、成果をより多く獲得しようと日々奮闘している。
しかし中堅のWeb広告代理店ともなれば、営業マンは数十人になる。となればどんどんリスティングのアカウントは増え、最終的にはリソース不足。つまりアカウントに対して運用担当者の人数が少なくなることがほとんどだ。
しかし受注したからにはアカウントを運用していかなければならない。
どうするのか。
そう、営業マンが運用を行うのである。
日々新規顧客の獲得のため、受注のために多くの時間を割いている営業マン。多くの時間は提案書の作成やテレアポ、追加提案の作成に費やされる。
さらに顧客の元へ移動したり、フォローも欠かすことはできない。そんな中でアカウントを運用・改善を進めねばならないのである。
当然業務時間は膨大なものとなり、終電間近で帰る人がかなり多かった。
ノルマがあるから取らねばならない。しかし取れば取るほど大変になるもの。それが契約であったのである。
終わりの始まり
新卒で入社をし、多くの上司と同僚がいた。
会社の業績が悪化した時は、皆一丸となり目標を達成し勝利の美酒に酔いしれた。
初契約を喜んでくれた上司がいて、同じ悩みを共有した同僚がいた。この仕事はきついなあと毎日思いながらも、同時に本当にこの同僚、上司でよかったなと思っていた。
しかし2年、3年と時が経つにつれ、その仲間たちも一人また一人と自分の新たなステージに向かって歩みを進めていった。
同業種へ転職するもの、全くの異業種に挑戦するもの、新しく会社を立ち上げた人もいた。
少しづつ、「自分がしたいことは何だろう。」、「何が自分はしたいんだろう」と思うようになり始めた。
同期の存在
同期がいた。だいたい10人ほどだったと思う。みんな仲がよく、今でも交流は続いている。
一人、また一人とその同期たちが退職をし、転職をしていった。
最後に残った同僚がいた。そいつはとにかく仕事ができて、どんどん会社の中でも存在感を高めていった。(実際に自分よりも昇格していた笑)
何気なく仕事の話をすると、「メールのテンプレート化」、「即レスの徹底」、「タイピングの高速化」、「顧客の詳細なリスト化」等、いかにもビジネス本の中に詰め込まれているような仕事の仕方を実践し、成果をあげていた。
同期に対する気持ち
不思議と、嫉妬はしなかった。当然である。
それは彼の努力の結晶であり、彼のビジネスセンスがその結果をもたらしていたのが近くで見ていてよくわかっていたから。
自分はその同期のことを尊敬していた。たまに二人で飲みに行くことがあったのだが、その度に彼は彼なりのしっかりとしたビジョンをもって、自分の進むべき道を進んでいるなと感じた。
そして、なんというのか。。。この仕事に向いているなあと感じた。というかこのWeb広告業界の仕事を楽しんでいるなとも感じた。
自分はなんのビジョンも夢もなく、この仕事を続ける限りこの同期には一生勝てない。この仕事に対するモチベーションが全く違うからだ。会社の中でどんどん昇格していくその同期と飲みに行き、いろんな話をする度にどこかでそんな風に思っていた。
自分の夢が崩れ去った
話は少しそれるが、自分は大学1年の頃ぐらいから、歌とダンスに本気で取り組んでおり、オーディションにも受かったりということもあり、どちらかというとこの会社ではフワフワした気持ちで、日々の業務に追われていた。
(歌とダンスの話はまた別の記事で書きたいなあ。。。書けるかな?)
仕事を夜11から12時ごろまで毎日行い、電車で40分かけて自宅の駅まで帰り、それからカラオケや自分の家で発声・歌唱練習。眠りにつく頃には深夜の2時や3時なんてことがザラだった。
また時には仕事の合間にライブのための歌詞を覚えたり、営業先に行くふりをして有名なボイストレーナーのレッスンを受けに行ったり(今でもこればれたら怒られるな。。笑)、深夜にダンス練習に出かけ夜通し練習をして始発で家に帰り、そのまま会社に行ったりしていた。
ちなみに自分は国内というよりも洋楽に興味があり、Justin TimberlakeやUsherのような(古い?)歌いながら踊れるアーティストを目指していた。
今思えば、この頃から自分の心が悲鳴をあげ始めていた。その時は、自分の夢のために純粋に、日々頑張っていたと思う。だからこそ、その心の声に気づかないふりをしていたのかもしれない。
それが取り返しのつかないことになるとは、全く気づいていなかった。
だんだんと、日々の仕事が忙しすぎて歌とダンスの方に時間を割くことが難しくなってきた。
どんどん、頭が回らなくなってきていた。ぼーっとすることが増えてきていた。
結局オーディションには受かったものの、レコーディングしていた曲もユニットを組んでデビューするという話もあったのだが形にならず、いつのまにか自分の夢を諦めてしまうことになった。(まあどんなに忙しくても形にする人はいるもので、結局は自分の力不足だったのかとも思うが。)
今思えば夢を諦めて時間に余裕ができたことで、結果的に自分の仕事に集中することができ契約がたくさん取れたので良かったと思う。
。。なんてうまい話はなく、自分の仕事はより一層フワフワとしたものになり、簡単なミスを頻発させてしまうようになった。
この頃から、本格的に「自分がやりたいこと」という、答えのない問いに悩み始めることになる。
ニューヨーク
ニューヨークが好きだった。というか今でも好きだ。
世界の流行発信地であることは世界中の人が認めるところだし、大学時代にブレイクダンス(頭や背中でぐるぐる回るやつ)やグラフィティ(駅とか壁とかに書いてあるスプレーの落書き)にはまっていたこともあり、在職中もGWと合わせて休暇を取り、一人で1週間ほど遊びに行ったこともあった。
退社を考える頃には少々の貯金もあったので、「会社辞めたら一回ニューヨークに行こう。」「ニューヨークなら何か見つかるかもしれない」という、中学生のような短絡的思考のもと、部長に退職の意思を伝えた。
ありがたいことに、部長には引き止めのお言葉をいただいた。というか、部長の友人に自分と同じ行動をした人物がいたらしく、「結局そいつは海外から帰ってきても何も見つけられずに、今でもぶらぶらしてるぞ」「後悔しないのか」という趣旨のお言葉をいただいた。
今思うとたいして目標もなく海外に行ったところで、何も見つかるはずもないことはわかりそうなものだが、あの頃の自分は思考能力が低下しておりそんなこともわからなかった。
最終的に、退職させてもらった。
海外での生活。
有給休暇を消化し、その間に準備をし、いよいよニューヨークへ旅たつことになった。目的はただ一つ。『自分が何をしたいのかを探す旅』だった。
2か月間、アメリカを点々としていた。
実際にどんな旅になったのかはまた別の機会に書きたいと思うが、、結果的には大した成果もなく帰国することになった。笑
(かなりはしょったが、ニューヨークはじめアリゾナなどいろんなところに行っていろんな人に出会った。書き始めるとこれまた長くなりそうなので、そしてそれはそれで今思えば楽しい時間だったので、そこら辺は改めて書きたいと思う)
燃え尽き症候群になる。
日本に帰ってきた。自分は何をしたいのか、結局見つからなかった。
転職しなきゃなあ。でもまあ同業種ならきっとすぐ働き口も見つかるし、給料も変わらないくらいもらえるだろ、なんて思っていた。
でも動かなかった。というよりも、なぜか動くことができなかった。
朝から終電まで働き続ける多忙な日々の中、並行して自分の夢を叶えようと努力し続けていた自分のエネルギーゲージには、警告ランプが付いていた。
空っぽになっていた。
失業手当はもらっていたので、即生活に困窮するということはなかったが、朝起きたらテレビをつけ、タバコに火をつけては消し、腹が減ればコンビニで食料を買い込み、眠くなればただ眠った。
この頃の記憶は、正直あまりない。
実はこの時弟と一緒に住んでいたのだが、あまりに自分が笑わないし何もする気がないという状態を見て、地元にいる母親に「兄貴死ぬかもしれない。自殺しそうな気がする」と、電話を何度もかけていたそうだ笑
記憶がないが、とにかくぼーっとしていた。
実際に死んでしまったところで、自分にはもうしたいこともなければ後悔すらない。なんか雪山に入っていけば、眠るように死ねるって聞いたけどあれって本当なのかな?
そんなことを毎日考えていたことだけは、覚えている。
そんなこんなで一年はあっという間に過ぎていった。
地元での療養
弟からの「兄貴がやばい」コールを受け、母ちゃんが自分に「地元へ遊びに戻ってきたら?」と連絡をくれた。
全てに対して無気力になっていた自分が、どのように地元に帰っていたのかすら、今では思い出せないが、自分の中の防衛本能が働いていたのか徐々に地元に帰る回数が増えていった。
福島の駅に着くたび、都会では見えない大きく開かれた空が出迎えてくれた。
福島は、正直何もない。ZARAもなければ東急ハンズもない。ハイセンスなバーもなければ大好きなクリスピークリームドーナッツもない。
でも、そもそもしたいこともわからず、動き出すためのエネルギーがゼロだった自分には、そんな環境がむしろ心地よかった。
少し車を走らせればすぐに山に行けるし、満員電車に乗らなくとも、車の中では一人で好きな歌を大声で歌うことだってできた。
空気もよかった。都会の排気ガスまみれの空気や、終電間際の脂臭いような親父臭いような嫌な空気ではなく、とにかくさわやかだった。山から吹いてくる風は常に新鮮な空気を運んでくれた。その空気からは、緑の臭いを感じることができた。
少しづつ、エネルギーが溜まり始めてきていることに気づいた。そして何かをしてみようと思うようになった。
インパクトドライバーとの出会い
親父は日曜大工が大好きだ。今でもちょくちょく木で棚を作ったりしている。
自分がふわふわしてる時期にも、何かを作ろうとしていた。「やってみろ」と、不意に父から工具を手渡された。それが、インパクトドライバーだった。
インパクトドライバーとは、これである。
まあ簡単に言えば『電動ネジ締め機』のことで、引き金を引けばギュイーンという音とともにネジが最も簡単に締められる。 最近ではテレビでもよく芸能人がこのインパクトドライバーで簡単そうにネジを締めている。
「へえーおもしろそうだな」と思い、実際に手にしてやってみると想像よりも難しいことに気がつく。 とにかく最初にネジを打ち込む時にネジがグラグラと安定しないのだ。
「あれ?」「テレビじゃあんなに簡単そうに見えたのに。。。」なんどやってみても綺麗に綺麗にネジが締めれない。
「こうやんだよ」と、父がインパクトドライバーを手に取り一息でネジを締めていく。そのあまりの手際の良さに、見とれてしまうほどであった。
ーなんか書くのが少し疲れたので、後半へ続くー